日本習字 ドイツ支部(本部公益財団法人日本習字教育財団)

日本習字 ドイツ支部(本部公益財団法人日本習字教育財団) 正式名称『日本習字ドイツ支部』幼児から成人まで、毛筆、ペン字、墨画など通信講座も充実。資格取得から書法教育学習のお手伝いまでご提供しております。

皆さま、ご無沙汰をお許し下さい。日本も秋の訪れを感じる季節でしょうか。この度、『温故創新』と題しまして山梨市の根津記念館にて展覧会をご一緒させて頂く事になりました。紅葉深まる正徳寺の日本庭園を舞台背景に、4名の作家たちとのハーモニー溢れる和...
12/11/2025

皆さま、ご無沙汰をお許し下さい。日本も秋の訪れを感じる季節でしょうか。この度、『温故創新』と題しまして山梨市の根津記念館にて展覧会をご一緒させて頂く事になりました。

紅葉深まる正徳寺の日本庭園を舞台背景に、4名の作家たちとのハーモニー溢れる和文化芸術の四重奏のような作品群を皆様にお届けさせて頂きたく思います。

企画・設営準備等のお心配り溢れるご尽力を賜りました伊東先生をはじめ、準備委員会の先生方に心よりお礼申し上げます。引き続き、宜しくお願い申し上げます。

今回は出品作品全てを手放すつもりで出展させて頂いております。解説・ご相談が必要なお客様にはドイツよりリモートで心を込めてご案内・お手伝いさせて頂きますので、どうぞお気軽に受付へお声掛け下さいませ。会期最終日までどうか宜しくご支援下さいませ。

皆様のご高覧を心よりお待ち申し上げております。

雨宮弥太郎(硯作家)
伊東正次(日本画家)
新川美湖(日本画家)
村上綾(書人)

会期:10月30日(木)~11月30日(日)
開館時間:9:30~16:30(最終日は15:00)入館無料
場所:根津記念館 旧主屋 展示棟;企画展示室
   山梨市正德寺296

主催:山梨市教育委員会・根津記念館

お問い合わせ
電話:0553-21-8250 Fax:0553-21-8251
E-mail : [email protected]
https://www.city.yamanashi.yamanashi.jp/site/nezu-kinenkan/

イベント・ギャラリートーク・ワークショップ
11月1日(土)

<ワークショップ>
10:00~12:00
「墨で遊ぼう」
墨をすって描いてみよう
講師:雨宮弥太郎 ・新川美湖

対象 小学生 定員10名先着順
参加申し込み電話:0553-21-8250

<イベント>
13:00〜13:20
「盆・じゅうる」歌と踊りの小舞台

13:30〜14:00
山梨市文化協会邦楽部による和楽器演奏

<ギャラリートーク>
14:10~15:00
作家たちによるギャラリートーク
「伝統を考える」
雨宮・伊東・新川・村上(ドイツからリモート出演)

多世界解釈の選択理論と同様に、自分自身で選び抜いた方法は如何なる場合であっても必ず正解である事。これは書法理論に於いても同様です。迷いや試行錯誤を重ねたとしても、その都度の選択分岐点に於いて、自身の感覚や体感に忠実である事が大切です。心地良...
12/05/2025

多世界解釈の選択理論と同様に、自分自身で選び抜いた方法は如何なる場合であっても必ず正解である事。これは書法理論に於いても同様です。

迷いや試行錯誤を重ねたとしても、その都度の選択分岐点に於いて、自身の感覚や体感に忠実である事が大切です。心地良さも心地悪さも同等に、自分にとって正しい選択するための条件要素になります。

他と比較して落差を感じ、自身が過去に下した決断が間違っていた様に感じる事もあるかもしれません。結果的に後で別の方法論が良かったとしても、その時にはそれ以外の選択は考えられなかった事って結構ありますね。

「成功した選択肢にも、成功しなかった選択肢にも両方に正解がある。」という事実を、徹底認識する必要があると思うのです。

「結果は常に一定では無い。」と云う概念を認識する事で、正解と云う結論こそも無常である事を受け入れると、随時の書稽古こそも正解の連続と云う解釈になるでしょう。

沢山書稽古するから上達するだけでなく、手習する毎に新たな用法の発見があるから、書稽古の選択肢にも無限の可能性と広がりがあるのです。

限定された正解さえも無いのが書法です。失敗の中にこそ、正解への鍵やヒントが潜んでいる気さえ致します。

正解を限定できない書法だからこそ、用法に忠実に筆と親しむ事を繰り返し実践し、書稽古を重ね、凡ゆる筆法の習得を願うのだと思います。

半年後は日本の大学へ短期学部留学が確定しているドイツの学生さん方ですが、今季のセメスターは『書法稽古に於ける真面目』をテーマに4回の集中稽古をご一緒させて頂きます。

左利きの学生さんが半数以上ですが右手での揮毫を試みながら、ご自身の実践経験から書法文化の醍醐味をいいも悪いも存分に味わい、筆と親しみながら書稽古そのものを楽しんで頂ける事を切に祈ります。

全ての欠点は長所へと繋がっている。そして、楽しさと云う方法は、難しい事を楽にしてくれる。知らない事を無理に判ろうとせず、楽しさの中で楽しいままに筆と親しむ時、感じる事を知り、五指に委ねて、唯々坦々と日を重ねて学ぶ。其処には上手下手もなく、在...
12/02/2025

全ての欠点は長所へと繋がっている。そして、楽しさと云う方法は、難しい事を楽にしてくれる。

知らない事を無理に判ろうとせず、楽しさの中で楽しいままに筆と親しむ時、感じる事を知り、五指に委ねて、唯々坦々と日を重ねて学ぶ。

其処には上手下手もなく、在るのは健全たる書法文化。

自身の無知に絶望しない為の筆法です。習得した者だけに確証される特権技法ではありません。

正しい筆技は閑暇です。
余裕に満ちて大袈裟で無く、実に自然で無駄が無い。

大袈裟な運筆は忙しそう。多忙であることによって、自分は何か大した仕事をしたという錯覚を抱くことが出来る。書の学びと云う実に細やかな幸せな営みを自らがよく自覚している時、大袈裟な事はできなくなる。

ドイツ人学習者の字には、いじらしい程の謙虚さと書法愛が滲み出ています。喜びに満ちて書稽古に勤しむ80歳近いご高齢の参加者。未完成の自覚を持って絶えず努力なさるお姿に青春の再来があるのですね。

真の美しさは見えるものではなくて、滲み出るもの。

ドイツ人書法学習者と日本人講師の二人三脚。筆と親しむお互いの暮らし方の中に正当を見出し、書法愛を原動力にして自身の手の中に書法の営みを大切に育てて参りましょう。

欧州ドイツの地に習字教育すら存在しなかった1995年代から指針をぶらさず、現地の書法文化愛好家の方々や日独ご家庭と同じ目線で書法文化学習教育の学びをご一緒しております。

2025年4月より、日本習字ドイツ支部では熱心なドイツ人書法学習者、学童(幼児〜中学)・成人(高校〜大人)の正式受け入れも開始致しました。従来の日本語での書法文化学習教育はもちろん、教材手本・検定競書全ての内容を英語・ドイツ語で受講が可能です。

私自身が一人の書法学習者です。
共に学び導き合えたら、大変嬉しく有り難く思います。

お申し込み・ご相談は、

[email protected]

VHS市民大学での書法文化講座、書歴ゼロの方々との二人三脚の学びは楽しさも真剣さも100倍で全力投球です。初心者の方だからこそ執筆を確固たるものにし、安定した用筆が不可欠なのです。うまく字面をなぞり美文字仕上げに必死になるよりも、自立した運...
09/06/2024

VHS市民大学での書法文化講座、書歴ゼロの方々との二人三脚の学びは楽しさも真剣さも100倍で全力投球です。

初心者の方だからこそ執筆を確固たるものにし、安定した用筆が不可欠なのです。うまく字面をなぞり美文字仕上げに必死になるよりも、自立した運筆が何より習字を楽しくする。

手だけが書く文字ではなく、体全体で書く文字ですから、五指と筆の拮抗を起点に腕と上半身は勿論の事、下半身と意識、更には呼吸までもがひとつになって自然な運筆が出来る様に。

「書歴ゼロの初心者はまずは楷書から」と云う習字教育はナンセンスです。執筆法と用筆法の確固たる安定は隷書や篆書の習字学習が最適です。

まずは起筆から。

書法学習は目的を持って「書く:do-ing」だけなく、「心地よく在る:be-ing」事を自覚することで、安寧へと導かれる一つの方便です。

反復練習が退屈なのは、用筆時の心地よさが伴わないからです。心地好さと云う快楽こそが書法教育の根底であり、我慢大会の様な訓練は外国人の習字学習には必要ありません。

大切な事は、自立した書法学習。

暮らしの中にスッと溶け込む様な自然な営みが、本来の書法学習のあるべき姿です。その為の法則が執筆法・用筆法です。

書法歴3時間のドイツ人参加者の方々ですが、片付けの時間でさえも誰一人としておしゃべりする人がいなかったのは、書法文化の世界にどっぷり浸かって、それを味わい尽くした余韻に浸っていたからでしょう。洗い場の水道の音だけが雨音の様に静まり返った教室に響いていました。

『無』という文字に向き合った書法講座の三時間。共に学び合った書法小宇宙の世界観を、家路まで大事にお持ち帰り頂きました。

金・土・日と東西奔走ノンストップで従事した書法講座、次回も楽しみにご参加下さい!

27/05/2024

ドイツに習字教育と云うものが無い時代からデュッセルドルフで書法学習教育をご提供している日本習字ドイツ支部ですが、デュッセルドルフ近郊からだけでなくボン、フランクフルトからも専門的な書法学習教育を求めて定期的にお稽古に通って下さる熱心な生徒さんがおられます。

今日はアメリカからも書法ワークショップにご参加下さいました。往復4時間以上掛けてボンからお稽古に通って下さる方のご親友です。

ドイツ滞在の思い出として、ご自身が熱心に取り組んでおられる書法学習をアメリカ人のご親友にもぜひ体験して頂きたいと云うご要望を受けて、今回は『色紙作品制作!書法ワークショップ』をご提供させて頂きました。

日系アメリカ人ご親友の日本名「秀」のご制作。上手に書くことよりも、運筆の軽快なリズムに乗って楽しく習字することを体験して頂きました。

決して楽ではない大筆揮毫の書勢ですが、身体のバランスと各部位のコーディネートを自然に整えるだけで、信じられないほど楽に運筆できるようになります。

文字面を表面的に真似るのではなく、筆という筆記用具の性能を信じて、思い切り筆圧を掛けたり抜いたりしながら自由自在に筆遊びしてみます。

大事な事は「筆で書く」と云うよりは、「筆を運ぶ」と云う意識です。ご自身の筆意をA地点からB地点にゆっくり丁寧に運んでいくイメージです。

筆本来が持ち得る機能と云うものは、人間が考える以上に実に巧みで優れた弾力性があります。上手下手に関わらず、気兼ねなく筆に筆意を乗せて運筆してみましょう。

輝いている方が益々お健やかにご活躍頂ける様に、輝く可能性を秘めておられる方がご活躍頂けるきっかけになる様な書法学習教育に努めております。

定期的な書法文化講座・単発的な書法ワークショップの開催、書制作、その他の書法学習教育に関する凡ゆるご相談も含め、ご希望に応じてご遠慮なくお申し付け下さいませ。

お問合せ先 [email protected]

《書法学習の実践意義》電子機器の発達した現代、「書く事」と「伝達する事」を同義化している錯覚。「メイルを書く」と何の躊躇いもなく表現しますが、五本の指を巧みに行使する「本来の書く行為」は全く現実化されていない状況。「書く事は面倒な事」と云う...
25/04/2024

《書法学習の実践意義》

電子機器の発達した現代、「書く事」と「伝達する事」を同義化している錯覚。「メイルを書く」と何の躊躇いもなく表現しますが、五本の指を巧みに行使する「本来の書く行為」は全く現実化されていない状況。

「書く事は面倒な事」と云う認識もよく分かります。忙しい業務や日常には、「筆記に代わる伝達手段」が不可欠です。

忘れてはならないのは、「手に物を握る」という行為は、「人間の本能的な動作」である事です。そして、「手に握った筆記用具で文字を書くという事は、実に人間らしい行為である」と思うのです。

不思議な事に、人間は生まれた時から誰にも教えられなくても、「手に何かを握る事」を本能で出来る様になる。赤子が何でも手に握って、口に咥えようとするでしょう。「食料を掴む事」から更に、「道具を握り、使う事」を覚える。

「道具を使いこなす事で、食料を得ていた時代」から、「自分の手を動かさなくても食料が口に入る時代」になり、人は「書く事」もしなくなります。それと同時に、人間らしさも失われつつあります。

「本来の書く行為」は、「忍耐を伴う漢字学習の反復訓練」でもありませんし、何が何でも手本とそっくりに書写する「型に束縛された習字学習」とも違います。

「字は人を表す」とよく云う様に、「違う個性と習性を持つひと」が、「それぞれの身体の都合に適した、無理のない運動としての書く行為=書法学習」と、思うのです。

多くの教育機関に於いて、「書く事=学習能力」と捉えられていますが、厳密に云えば「書く行為」そのものは、「脳を含んだ身体部分の運動」です。

人間には相当の握力はあっても、指そのものは大した筋肉を持ち得ません。その五指の運動を支えているのが、「手首」であり、「腕」であり、「肘」であり、「体幹」であり、「脳」でもあります。所謂、「書く事」は言ってみれば「全身運動」であるとも言えます。

書法学習を始めて二週間目の幼い子は、教えなくても利き手である右手を楽に動かすために、左手を充分に使って、身体のバランスをとり、無心に筆記用具と向き合っています。

「執筆する指の位置」を明確に教えるだけで、小さな掌は手の平の中に「うずらの卵」の様な虚空を包み、肘は「運指」を導いています。

指が短く、手も小さいので、しっかりと鉛筆を立てたまま運指する事までは出来ませんが、文字習得歴のない幼稚園児が、たった週一の書法学習のお稽古により、消しゴムを殆ど使用せずに「文字のなぞり書き運筆」が、難なく出来る様になる事を信じられますでしょうか?

「字を綺麗に書く事」は、「教養豊かな嗜み」として好まれますが、「書く行為」そのものは、「教養」と同意ではありません。読み書きが苦手な方でも、教養豊かな方は大勢いらっしゃる。

「書く行為」に関する、本来の在り方の認識は、「義務教育の普及」と共に、「本質的な書法教育の根本」から乖離してしまっている様に感じます。「書法教育の効果」としての「美文字」は、あくまで「学習の表面的効果」です。

大切な事は、「上手く書く事」ではなく、「道具をよく使う事」です。そのために、「用具用材に触れ、自然の道理を学び、自身の日常に活かし切る事」です。

「わかっている様でよく分からない自分」を、書く事を通して知るための「ガイドライン」として、「執筆法の型」や「用筆法の模範例」があります。「そこに執する事なく、自分らしい歩み方を見つけていく事」こそ、「書法教育の指針」です。

誰に押し付けられる事もなく、「自分で自分の学びの理(ことわり)を決断し、歩む事」こそ、「本来の書法学習」でもあります。

「書かなくても用が足りる事」は、確かに便利ですね。ただ、「書かなくなった分→字も忘れる」、「書く機会が減ると→字も下手になる」、これは仕方の無い事です。

「老化と共に衰えるのが、人間の脳の健全な在り方」であり、そこには何の問題もないと思うのです。大事な事は、「忘れたら、また思い出せる方便を知っているか?否か?」という事です。

「文字を書く」と云う作業が、電子機器の場合「視覚のみ」に託されてしまい、書く行為に伴う「身体運動の出力=アウトプット」が為されない事が問題なのです。

手先の運動を伴わない「指タッチ作業」は、「体得」ではなくて「知識の取り込み」が主になってしまう。それは、パソコンに「文字データを入力(インプット/インストール)するだけの事」と、何ら変わりありません。

「書法学習の実践」は、筆を通して「知識の蓄積としての文字データを、出力実践する機会」と云えます。「体内に入れたものを、体外に出す事」は、「人間の習性」として欠かせない事です。

「字は必ずしも、上手くなくていい」
「筆が楽しく、よく使えたら尚更いい」

「自身の手を動かして書く事」は、とても「意味深い事」です。

「文字は動かせない文化の立ち姿」です。幼子が母親の姿と無意識に親しむ様に、「文字の姿に純粋に親しむ事こそが、習字と云う手習いの概念」です。無意識に目追いするだけでは、幼子は母親という人間性を根本から理解出来ないのと同様に、「文字の姿を根本理...
23/02/2024

「文字は動かせない文化の立ち姿」です。幼子が母親の姿と無意識に親しむ様に、「文字の姿に純粋に親しむ事こそが、習字と云う手習いの概念」です。

無意識に目追いするだけでは、幼子は母親という人間性を根本から理解出来ないのと同様に、「文字の姿を根本理解するために、用筆という方便が活きてくる」のです。

強いて云うならば、手軽に文字の容姿だけを整える事を急いで、用筆という秘技を省いて習字する事こそ、文字が持ち得る本来の振る舞いを見落としてしまう恐れがあるのはないでしょうか。

親子の絆があっても互いの理解を深める関係性には、親しく交わり関わり合うことが不可欠要素と捉えれば、「文字の姿と人との関係性においても、純粋に親しむことが理解を先行していなければ不自然」です。

そもそも字習いという過程に於いて、書き順という規則に従う事が、文字の姿に親しむ事よりも先行している事は残念な現状です。漢字テストで書き順が間違っているだけでバツをもらう事は、決められたルールに従わない故の罰でしかありません。

用筆を頼りに穂先が向く方向を追っていけば、筆脈が自ずと次の画を示してくれるからです。書き順が分からなければ、筆に尋ねれば良いのです。

「然るべきタイミングで正しい問い掛けが筆にできたとすれば、即ちそれが正しい答え(書き順)」のはずです。文字の姿に親しみながら、自然と筆が導き出してくれる筆順という答えが直感できる様な用筆稽古に努める。

大事なことは「文字や筆がいい答えを示してくれるような正しい問い掛けを、運筆瞬時に書き手ができるかどうか?」に掛かっています。

知らないものをわかる為には、まず確かな方便が必要になる。なぜならば、理性は知っている事から徐々に知らない事への領域に辿り着く働きしかないからです。

一方で、未知なる知らない事を飛躍的に知り得る為には、習得した要素を一旦捨てなければならない時がある。この時に唯一、手放さない根本的要素だけが必須要諦と認識できるでしょう。

人は日常的に言葉を駆使しますが、果たして「一つ一つの文字の姿を理解して言葉を使い分けているでしょうか?」「文字の姿と親しんで手書きしているでしょうか?」

現代人の文字理解が浅薄になりつつある経緯や、筆記が美しく書けなくなっている理由の根本は其処にあります。能力の有無や書き手の上手い下手が因縁ではありません。

西洋のアルファベットと違い、東洋の文字は単体で完全な意味を有する。要するに、漢字はキーボードの転換キーの様な単なる記号ではないのです。

文字が性格をもち、その本質的意味を以って紙面で振る舞いをみせる。生活体系が西洋化している近代、唯一変わらないことは、普遍性と柔軟性を同時に持ち得た東洋人の文字文化です。

人が生活必需品として作り出した文字の姿を、本来は人が扱いずらいはずがありません。用筆という方便を日常から省いてしまったが為に、自分たちの母国語そのものの扱い方が雑になってしまっている現実。

人と文字の間で何千年と重宝されてきたいとなみを振り返り、近年の文字文化の在り方を根本から見つめ直す必要性を強く感じます。

存在の根底にある根本的な無知を「無明」と云うならば、「自身の無明」さえも一つの現象として方便に追従させても生き迷う事のない様な、「根本的思想に立ち還る手順を知り得ている事は、美に病んで道に迷う書道にならない要諦」だと思うのです。

書体や用筆で文字の姿に変化をもたらしても、文字の本質自体は決して破壊消滅されない。「自然な用筆文字は普遍的かつ自由自在」だからです

市民大学VHS・MGでの書法講座も地域社会の生涯学習プログラムにすっかり定着しつつあり嬉しい限りです。講座回数を重ねる毎にご自身のMy文房四宝を新調されてご持参なさる方や、口頭説明する添削要項や書法理論を手本の端っこにびっしりとドイツ語でメ...
20/02/2024

市民大学VHS・MGでの書法講座も地域社会の生涯学習プログラムにすっかり定着しつつあり嬉しい限りです。講座回数を重ねる毎にご自身のMy文房四宝を新調されてご持参なさる方や、口頭説明する添削要項や書法理論を手本の端っこにびっしりとドイツ語でメモなさる方も。

年始の『Arts 'N' Acts Januar 2024』芸術祭にて書法ワークショップにご参加なさった事を機に、片道150キロも遠征して市民大学の書法講座を受講下さった参加者も数人いらして、熱心なドイツの書法愛好家の方々には感心するばかりです。

FBの皆さまは自身の拙い書法文化支援活動をいつも申し訳ない程に誉めて下さりますが、わたくしの方こそドイツの書友方々から沢山の事を学ばせて頂いておりますし、本当は指導なんてちっともしていないのです。

参加者自身のお心掛けやお志しこそも書法からの恩寵です。講師の授けものでも指導の賜物でもなく、学びの喜びがご自身の心にぽっと灯る時、人の心はきっと純真無垢で素直なのですね。凡ゆる書法の大事を自ずと習得なさる。帰路につく道のりにも、次回の書法講座へのお志しでお心が満たされるのでしょう。

わたくし自身としましては、参加者方々のお心に何かしら書法文化の種が芽生えてくれる様な、何か続きがありそうな沸々とした書法悦の第一歩をご提供できるだけでも幸いです。

書く行為に付随する様々な作法は、凡ゆる無駄を省いた書法の要諦です。

「書く事」は、本来「言葉以前の世界」に戻ろうとする事です。筆記という行為を通して、凡ゆる大事に思いを巡らせるのです。

それは目的として「〜しよう」と意志を持つものではなく、自ずと現れ滲み出てくる世界であり、そこには凡ゆる事が主体性を持ち共鳴し合う。

「凡ゆる共鳴の結果」が「今日の自分」「今日の書」であり、「今日という人生の終い方」である様に思うのです。

良い線が書ける日もそうでない日も、日々の苦楽そのものが凡ゆる共鳴の結果であり、自分にできる事と出来ない事の共鳴こそが明日への第一歩であるべきだと思うのです。

「無常でありながら、一貫して無々であるべし」ですから、学習上の共鳴的現象が毎日違っていい。同じ手順と変わらぬ法則の元に、日々新たな発見を苦楽と共に味わう趣き。

「絶対無二の根本」が、書法文化全ての基礎になる。人の日常は其処から全てが始まり、其処に全てが還っていくのだと思うのです。同じものは一つもない自然世界の中で、自分自身が心迷う時でも根本的思想に立ち還る手順を知り得ている事。

「安心(あんじん)」とは、「安定不動の心身を意味する事」ではなく、本来「心が感じたままに安らう事」です。故に「安心の持続」に努める必要性すらないのです。

歩行器をおして来校ご参加下さったご婦人。リュウマチとパーキンソン病を患っていらっしゃりご自身にしか分からない身体の発作と相談しながらの用筆。時々かんしゃくを起こしても、弱音を吐いても大丈夫。

そんな時こそ、わたくしのような助っ人がお側にいる訳です。自分自身こそもドイツの書友たちと同じく、日々一刻一刻と書法からの学びを頂戴している身です。

心通う書友との書法文化活動、その根本は「自ら然(しか)らしみ、心底安らう事」であってほしいと願って止みません。

皆様にとってもお健やかな書法の学びでありますように。

18/02/2024

ドイツ自動車Audi社からのご依頼で中国旧正月を記念する広告に少しだけお手伝いさせて頂きました。

Audi社チームが氷点下40度のフィンランドを舞台に新車走行撮影をし、コマーシャルでは氷雪上走行のタイヤ跡が今年度干支の龍になるようにデザインされています。

https://weibo.com/audipek?is_hot=1

Audi広告制作担当部からの厳格なデザイン指定が文字とも絵とも認識しずらい様なご要望でしたので、「漢語圏を含む世界に発信放映されるCMの龍という文字ならば、龍の字画数をある程度はきちんと守らなくてはならない。」と、恐れ多くも言及。

理由は、自分の母国の言葉だから。

完成映像では龍の頭だけが漫画みたいなAudi好みのバージョンにすり替わっていましたが、時間を掛けて丹念に磨墨した濃墨で一気に書き上げた拙作が、CGの幻想的な効果と共に新鮮なコマーシャル映像に表現されております。

宜しければ、ご高覧頂けますように。

Adresse

オーバーカッセル地区
Düsseldorf
40547

Öffnungszeiten

10:30 - 15:00

Benachrichtigungen

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